こんにちは。おこりんです。
前回は隣人との関わり方を変えてからの道路族との生活を書きました。
大人の最低限のマナーとして、最低限の挨拶をするだけに関わり方を変えてから
隣人の態度は自ら挨拶をしてきたり、敵対心を表してきたりと一転二転しました。
その隣人の変化には理由があったのですが、
今回は隣人の態度が一転二転した背景を書いていきます。
隣人の態度が変わっていったこの頃は隣人に遊び仲間ができ、
遊びの規模や騒音が大きくなり、通行の妨げが常態化していた道路族行為全盛期の出来事です。
今、道路族被害に遭われている方が私のブログに共感し、
少しでも心が軽くなってくれたら良いなと思って書いていきます。
<ご近所Aさんの一言>
関わり方を変えてから約2年(道路族行為が全盛期に入って約2年半)経った頃、
(ちなみにこの頃、私は二児の母となって1年以上経っています)
同じ住宅地ではあるが、少し離れた所に住んでいるご近所Aさんと軽く会話をしていると
「隣とてもうるさいけど、大丈夫?」と言われました。
共働き家庭の多いこの住宅地は普段、道路族が道路を占領しており
その他のご近所さんと顔を合わすことが少なく、顔を合わしても挨拶程度で終わっていました。
道路遊びや隣人のマナーに関する話題は、
日中家にいない共働き家庭の方や我が家の様に道路遊びの中心地ではない家の方には
共感してもらえず、悪口と捉えられるタブーのものと思い、
近所の方に話すことができずにいました。しかし、
道路族一家と出会って約4年半=不快な思いをし続けて約4年半、
道路族行為がひどくなって約2年半、関わり方を変えて約2年の時を経て
初めてご近所さんと隣人の道路族行為についての話しが話題にあがりました。
少し離れた場所でも隣人の道路遊びは迷惑に感じられていることが分かったのです。
<光を灯した一言>
「隣とてもうるさいけど、大丈夫?」
この一言で、ご近所Aさんが隣人を良く思っていないことが分かり、
自分以外に隣人の非常識さを感じている人がいたことに単純に嬉しくなりました。
少し離れた場所だけど、ご近所Aさんは専業主婦ということもあり、日々の道路遊びに遭遇する機会が多かったのだと思います。
ただ、ご近所Aさんとも日頃挨拶程度の会話しかしておらず、
多くを語るのは時期尚早だと思い、この時は否定はしないながらも軽く相槌を打つぐらいで会話を終えました。
4年半のストレスを吐き出してはいないけれど、
同じように感じている人が、同じ住宅地に1人でもいることが分かり、
私の心はとても楽になりました。
1人いるということは、きっと
私の様に近所の愚痴をご近所さんに話すことをタブー視しながら、
隣人を良く思っていない人が他にもいるということの表れだと心が楽になりました。
4年半、道路族は日々道路を占有し
家にいても騒音で気は休まらず、外に出れば嫌な態度と通行の邪魔で雨の日が恋しい日々が続きました。
・何故、よりによってこんな一家が隣に引っ越してきたのか
・何故、他の家庭はこんな一家と一緒に遊ぶのかと
この住宅地での生活自体が嫌になることもありましたが、
このご近所Aさんの一言のおかげで、この住宅地での生活に少し光が灯りました。
<隣人の変化の背景>
住宅地での生活に光が灯り始めた頃はちょうど寒くなり始めた冬の時期で、道路遊びの時間も短く、遊ぶ頻度も少なく感じられました。
Aさんが何か関係しているのかとも思い、次にAさんと会った時に話しを投げかけてみました。
遊ぶ頻度が減ったのはAさん関係なく
「寒くなったことと、上の子の成長と共に減ったのでは」ということでした。
そこからAさんがこれまでの道路族との関係を話してくれたのですが、
Aさんも私同様に「姿が見えないかのような態度」を取られていたようで
挨拶も返さない隣人とそんな非常識な一家が道路を占有して遊んでいることにずっと不快感を感じていたようです。
同じ態度を取られていた私とAさんですが、隣人に対する対応は違っていました。
私は隣人と距離を取りましたが、なんと
Aさんは隣人に直接抗議に行っていたのです。
Aさんのお子さんと隣人の子どもは年齢差があり、今後関わることがないと判断したからだそうです。
話すことで良好な関係になるかもしれないという期待もあったようですが、
結果、話しは実を結ばず、関係はより悪化し、
隣人は話しの通じない相手だったという結論に終わったとのことです。
そのAさんと隣人とのやり取りは1年半程前にさかのぼった出来事だったようですが、
隣人はその間、何事もなかったかのようにずっと道路遊びを続けていました。
迷惑に思っている人がいるということを知っても態度を改めないという
隣人の良識を欠いた自己中心的な人間性を再認識すると共に
私はそのやり取りの時期が
隣人が私に対する態度を変えた出来事の時期と合致することに気が付きました。
<変化の真相>
今まで拒絶の態度を取り続けてきた隣人ですが、
自ら挨拶をしてきたり、敵対心を表してきたりと一転二転 したことがありました。
①笑顔で挨拶→私の反応を確かめるため
最低限の挨拶だけをするようになって少し経った頃、隣人が自ら挨拶をしてくるようになりました。
今まで何の愛想もなかった隣人が微かな笑みを浮かべながら挨拶してくる光景は不気味にさえ思えました。
ちょうどこの頃、Aさんが隣人に抗議に行っていたのです。
隣人は自分に抗議するAさんという存在に触れて何を思ったのかは分かりませんが
(他人の考え、まして理解出来ない存在の隣人の考えなんて分かりようがありません)
私が自分よりの人間なのか、Aさんよりの人間なのか見極めたかったのだと思います。
自分が感じ良く挨拶することで、
私が感じ良く返せば「自分より、自分よりとまでいかなくてもAさんよりではない」
私の感じが良くならなければ「Aさんより、Aさんよりとまでいかなくても自分よりではない」
と言った具合でしょうか。
私の心は簡単に変わらなかったので、後者の
「Aさんより、Aさんよりとまでいかなくても自分よりではない」 と判断されたと思われます。
②敵対心を出す→自分よりではないと判断
「自分よりの人間ではない」と判断したのか、
自らの感じの良い挨拶は続かず、すぐに元の感じの悪い隣人に戻りました。
さらには私がAさんと繋がっていて何か言われているとでも思ったのか、
これまでの拒絶の態度のうえに敵対心を感じさせる言動を取るようになっていったのです。
Aさんとのやり取りを全く知らなかった私は
「何をいきなり言い出すんだ?」
「よくそんな行動を取るな」というような脈略もなく発せられる隣人の不快で不可解な言動に
「やっぱり変わってるな」と思っていたのですが、
Aさんとやり取りをしていたことを知ってから
Aさんに言われたことに対して、Aさんと繋がっていると思った私へのお返しだったのだと辻褄が合いました。
この時期、前回のブログに書きましたが、妻だけでなく
旦那の態度も一層感じが悪く、子どもを使って嫌味を言ってくることもありました。
非常識な道路遊び一家(道路族)の7年間の栄枯盛衰⑥(全盛期②) | おこりんの人生経験ブログ (korinkorinblog.com)
1年半程経って、それらの言動が
Aさんとのやり取りを通しての敵対心からだったのだと合点がいきました。
<あとがき>
近隣住民が迷惑に思っていることを伝えてからも、
「他人は他人、自分は自分、自分が常識」とばかりに遊び方を変えることもなく、
むしろ敵対心を出しながら
隣人は近隣住民から平穏な生活を奪い、通行の妨げとなり続けていました。
まさに隣人は他者の意見に耳をかたむけらない、自己中心的で良識に欠けた道路族の象徴でした。
隣人が道路遊びを始めて約4年半、全盛期に入って約2年半、
Aさんに注意されて約1年半経っても道路族は日々住宅地の道路を占有していました。
そんな全盛期の道路族ですが、少しずつ衰退の兆しが見え始めていたのです。
次回以降、道路族の勢いがなくなっていく衰退の様子を書いていきます。
今、道路族被害に遭われている方が私のブログに共感し、
少しでも心が軽くなってくれたら良いなと思いながら書いていきます。
どうぞよろしくお願いします\(^^)/
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