非常識な道路遊びをする一家(道路族)の7年間の栄枯盛衰
⑤道路族行為(全盛期)

道路族

こんにちは。おこりんです。

前回は非常識な道路遊び(道路族行為)が迷惑とストレスになっていく初期の体験談を書きました。

その後、道路族は一緒に遊ぶ仲間を見つけ、自分たちが住宅地内の主であるかのように我が物顔で道路遊びを繰り広げ

近隣住民の生活に配慮もなく、ますます騒音と不快な言動を住宅地内に響き渡らせるのです。

道路族との関わりは約7年となりますが、その全盛期とも言える期間に入っていきます。

今回はその全盛期ともいえる期間の出来事を書いていきます。

今、道路族被害に遭われている方が私のブログに共感し、

少しでも心が軽くなってくれたら良いなと思って書いていきます

<寝ない我が子>

昼夜問わず赤ちゃんのお世話をし、道路遊びが繰り広げられる時間は気も休まらず、産後の体調は思うように回復することができませんでした。

生後4か月程になった頃、我が子は連続で眠ることがなくなり、

夜は1時間置きに起きるようになり、日中は抱っこでしか寝ない(寝ても布団に置けない)ようになりました。

夜1時間置きに起こされ、日中長時間抱っこする生活となりました。

よく寝る赤ちゃんもいるようですが、我が子はとっても寝るのが下手な赤ちゃんでした。

この生活は約1年続くのですが、

慢性的な睡眠不足と、長時間の抱っこは肉体的にも精神的にも非常にきつく

大変だと思って仕事をしていた頃の方が断然楽だったと感じる程でした。

そんな生活の中、家の前で長時間騒がれるのはストレス以外の何物でもありませんでした。

やっと寝た赤ちゃんが起きることもありましたし、体調不良の体を休めることもままならなかったからです。

<会う頻度が増えても失礼な隣人>

我が子の成長と共に外出する機会が増えてきました。

抱っこ紐で散歩したり、買い物に行ったりと少しずつ生活範囲が広がっていきました。

隣人と会う機会も増えましたが、無愛想な態度に変わりはなく、挨拶はこちらからというのがいつものパターンでした。

そんな失礼な隣人ですが、この住宅地内で隣人が自ら挨拶をし、愛想よく話す人がいます。

同年代の子どもがいる、たまに一緒に遊んでいる人たちなので、

私も子どもが生まれて接する機会が増えればそんな関係になるかもしれないという思いがありました。

出会った当初からあった「今後付き合っていけば、変わってくるかもしれない」という思いですが、

「無愛想な雰囲気は緊張していたのかもしれない」「人見知りなのかもしれない」という2つの思いと同様に消えていく予感がしました

当初からあった3つの思いのうちの最後の1つである

この思いが消えた時、

私の隣人の人間性を肯定する気持ちはなくなるということになります

同じ立場にありながら、人によって態度を変える人間を私は受け入れることができません

<仲間意識で非常識さに拍車がかかる>

そんな中、道路遊びの最中に顔を合わすこともありました。

この頃にはどこかの家庭と一緒に遊んでいることが多かったのですが、誰かと一緒に遊んでいる時の隣人の態度は非常識さに拍車をかけたものでした

「栄枯盛衰③親の非常識な行為」で書いた「私の姿が見えていないかのようにこども達を外で遊ばせ続ける」と重なる行為ですが、

道路族の7年間の栄枯盛衰 ③道路族一家の非常識な行為(始まり) | おこりんの人生経験ブログ (korinkorinblog.com)

私たち親子の存在に気付かない訳がないのに、素知らぬふりをするうえに

一緒にいる誰かとあえて楽しそうに話しをして、一種の仲間外れの空間を作るのです。

一緒にいる誰かが良識のある方の場合は、その方と普通の挨拶をし雰囲気はマシですが

その誰かが前回書いた道路族仲間、ご近所Xの家庭の場合はとても嫌な感じでした

親に責任があるのは目に見えていたし、私はこども達とは普通に接していましたが、

この人たちはこどもを含めた私に不快な態度を取るのです。

このような行為が度重なり、

隣人は人によって態度を変えていることは明らかで、さらには性格の悪さも露呈しました

「隣人は変わっている」と思っていましたが、

「隣人は人間性に欠けている」私の受け入れられない人でした

そのような家庭の平日は夕方、休日は一日中という連日の道路遊びを受け入れられる訳がありません

遊び仲間を見つけた隣人は「私たちの遊びが常識」とばかりに

人数が増えて「より大きくなった騒音」「通行の邪魔」という迷惑行為を続けていました。

<道路族一家と決別の決心>

道路族一家と出会って約3年が経ちました。

「無愛想な雰囲気は緊張していたのかもしれない」「人見知りなのかもしれない」「今後付き合っていけば、変わってくるかもしれない」という

隣人の人間性を肯定する3つの思いは全て消え受け入れられない存在となりました。

産後間もなく、様々な問題に直面していた頃

自分の考えが世間一般の常識なのかそうでないのか次第に分からなくなったり

隣人と普通に過ごすご近所さんを見て、近所付き合い自体に自信がなくなっていったり

自分のペースを乱す日々を送っていましたが、

「隣人を受け入れられない」という事実を否定することはできませんでした。

隣人ではありますが、

受け入れられない人と良好な関係を築く努力をする必要はないし、時間の無駄です。

受け入れられない人に我が子を可愛がってもらわなくても、我が子に愛情を注いでくれる人は他にいます

これまで3年間、こちらから感じの良い挨拶を心掛けていましたが、

素知らぬふりをする相手にもはや挨拶をする必要もないし

最低限の大人のマナーとして、

明らかに目と目が合ったぐらいで軽く挨拶する程度に隣人との関わり方を変えました。

<あとがき>

これまで、今後長く続くであろうお隣関係を少しでも良好にしたい思いから、自分の印象が悪くならないように隣人と接してきました。

3年の時を経て、

人間性を欠いた隣人にその思いは通じないし、必要がないと気付きこれまでの努力をやめることにしました。

この時期、道路族一家は遊び仲間ができ

外では、ストライダー・キックボード・自転車・鬼ごっこ・かくれんぼなどで通行の妨げとなり、(親はこどもの安全を確保はするが、相手への謝罪はない)

家では、それらに伴うこどもの奇声や足音、こどもに指示する親の大声が騒音となっていました。

振り返れば道路族行為「全盛期の一端」の時期で、雨の日がとても平穏に感じていました。

特に産後2度目の夏休み期間中はより巨大化した一日中の騒音に心休まる時がありませんでした。

隣人に決別を決心したからといって道路族行為がなくなる訳はなく、全盛期の期間はまだ続きます

次回以降、隣人との関わり方を変えてからの残りの4年を書いていきます。

今、道路族被害に遭われている方が私のブログに共感し、

少しでも心が軽くなってくれたら良いなと思って書いていきます

どうぞよろしくお願いします\(^^)/

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