非常識な道路遊びをする一家(道路族)の7年間の栄枯盛衰 ⑨道路族行為(衰退その2)~最終回~

道路族

こんにちは。おこりんです。

前回は常に一緒に遊んでいた強固な遊び仲間(ご近所Xさん)と遊ぶ頻度が減り、

道路遊びの規模が小さくなっていく衰退の様子を書きました。

今回は衰退期に入り約1年が経ち、

現在まで残り1年となった「7年間の栄枯盛衰」の最後1年を書きます。

今、道路族被害に遭われている方が私のブログに共感し、

少しでも心が軽くなってくれたら良いなと思って書いていきます

<ご近所Xさんの変化>

衰退期に入り、1年程経った頃

全盛期には隣人と毎日一緒に遊び、立派な道路族であったご近所Xさんが

歩いてすぐの所にある公園に子どもを連れて行く光景を見るようになりました。

道路族被害に遭っていた私はかねてより子ども達を公園に連れて行っていたので、

ご近所Xさんと顔を合わすことも増えました。

<ご近所Xさんとの関係性>

ご近所Xさんは隣人に似たタイプの人で、私たち親子は嫌な態度を取られていたので、

隣人と私たちの過去6年の関係性と似たような流れの関係性となっています。

「良好な関係性を試みる」→「無理なので距離を置く」→

「挨拶や子どもに声掛けしてくる」→「挨拶や子どもへの応対をするぐらいになる」

といった具合の隣人よりはマシな関係性です。

隣人と我が物顔で道路遊びをしていた頃はとても感じが悪かったのですが、

ご近所Aさんからクレームが出た当たりで、態度に変化があったのです。

①自分たちの態度や道路遊びの非常識さを改心したのか

②住宅地内に居づらくなることを危惧したのかは分かりませんが、

ご近所Xさんの道路遊びが減ったことで、道路遊びは衰退していきました。

①であれば良いのですが、

②であれば、状況次第で態度を変える厄介な人です。

このブログを掲載後もすぐには結論は出そうにないですが、

①であることを望んで、平穏な日常生活を送っていきたいところです。

<隣人の変化>

◆ 公園で遊ぶようになる ◆◆

ご近所Xさんと私の関わりが増えた頃、隣人にも変化がありました。

公園に行きたがる子どもを阻んで、道路遊びを続けていた隣人が

子どもを公園に連れて行くことが少しずつ多くなってきたのです。

道路遊びがなくなるのは喜ばしいことですが、

隣人と公園で鉢合わせした時は何とも嫌な気持ちでした。

いまだ敵対心を表す隣人に人前で横柄な態度を取られるのは気分が悪いし、

狭い公園の中、お互いに話すこともなく距離を取っていたと思います。

私たちが隣人関係だと知っている人は私たちの関係性に驚いたかもしれません。

そんな公園での悪い雰囲気は数か月続きました。

<隣人の変化②>

◆◆ 私への態度がまた変わる ◆◆

悪い雰囲気の数か月間は隣人が公園にくることは稀で、

公園からの帰宅時に道路で遊んでいるところに遭遇することが多かったです。

しかし、隣人が公園にくる頻度は次第に高くなり、

気付けば道路遊びと公園遊びの頻度がひっくり返っていました

公園で鉢合わす頻度が多くなると共に、これまで私の存在をスルーしていた人が

今までだったらあり得ない早いタイミングで自ら挨拶をしてくるようになったのです。

(早いと言っても、他の方にすれば普通のタイミングです)

この人はよくもまあ、コロコロと態度を変えられるなぁ」と思いながらも

挨拶を返さない人間にはどうしてもなれないので、私は挨拶を返します。

家の前で顔を合わせた時の挨拶も増え、

これまで私同様スルーだった私の子どもにも声を掛けることも出てきました。

隣人が隣に引っ越して来て、約6年半経った出来事です。

ご近所さんへの挨拶やその子どもとのやり取りはごく自然なことだし、何も特別なことではありません

隣人は引っ越してきて約6年半もの間、それらをしてこなかった変わった人物です。

・強固な道路遊び仲間のXさんが公園で遊ぶようになり

・仲間であるXさんと敵対視している私の間に少しずつ関わりが出たり することで

①自分の態度や道路遊びの非常識さを改心したのか

②住宅地内に居づらくなることを危惧したのかは分かりませんが、

ようやく道路遊びが減り、まともな挨拶をしてくるようになったのです。

(隣人に関して①はないと思いますが)

<6年半からこれまで>

6年半の歳月を経て、

家で過ごしている時は時折通行人の話し声や車両の音が聞こえる程度

外出時は顔を合わたご近所さんと挨拶をし、車の出し入れにストレスもない

という一見、平穏な日常生活を送る日々がやって来ました。

隣人の道路遊びが減り、まともな挨拶をしてくるようになった頃

季節は変わり、寒さで外遊びが減る時期となり、顔を合わせる頻度も減りました。

寒さが和らぎまた顔を合わせるようになった時、

・道路遊びを再燃させるかさせないか

・隣人の態度はそのままなのかそうでないのか分かりません。

隣人は感じ良く接して来ましたが、私の6年半の負の蓄積はそう簡単に崩れないので

それを感じた隣人がまた態度・行動を一変させるかもしれません。

これまで幾度と隣人は態度を変えてきたし、

道路族は他者の生活や気持ちを配慮・尊重することができない自己中心的な人間性の持ちなので、

同じ住宅地に住み、隣人関係が続く限り、理解できない出来事が起こりそうです。

<現在>

隣人が引っ越して来たことで、私の住む住宅地に道路族が発生しました。

道路族は約6年半、自己中心的な生活を続け、他者に不快感を与えてきました。

6年半から数か月、穏やかな生活が続いていますが、されど、道路族。

隣人の自己中心さがいつ復活するかは分りません。

ただ、7年経って言えることは

道路族(隣人)の人間性は多くの方に見透かされ、距離を置かれています。

隣人が道路遊びを復活しても、隣人を中心としたかつての勢いは復活しないでしょう。

タイトルの「栄枯盛衰」の通り、

世の中すべての人や物事には繁栄と衰退があります。

栄えに盛えた道路遊びも、7年の歳月を経て遊ぶ規模も親の態度も小さくなりました。

まさしく、「栄枯盛衰」を文字の順序通りに表した7年間でした

<あとがき>

「道路族」をテーマにしたブログですが、「栄」と「盛」通り過ぎ、

「枯」と「衰」を迎え、これにて終了です。

今、道路族被害に遭われている方は私のブログに少しでも共感し、

ほんの少しでも心が軽くなってくれたでしょうか?

口には出さなくても私たちと同じように道路族を迷惑に思っている方は絶対にいます。

道路族が目立っているだけで、道路族より迷惑に思っている方の人数の方が多いかもしれません。

道路族に私たちの生活を脅かされることはあってはいけません。

感情が入り、長文となる記事もありましたが、全て読んでいただいた方には本当に感謝します。

これまでは私と隣人の関係を中心にした内容でしたが、番外編として、他の家庭と隣人の関係も後に紹介しようと思っています。

◆◆ 追伸 ◆◆

すべての事象に繁栄と衰退があるという「栄枯盛衰」ですが、

①「繁栄したものは衰退する」という意味と

②「衰退しているものは繁栄する」という逆の意味もあります。

私たちが①にならないように、

道路族が②にならないように日々過ごしていきたいと思います。

「あとがき」が長くなりましたが、

「非常識な道路遊び一家(道路族)の7年間の栄枯盛衰」

おしまい!

ありがとうございました\(^^)/

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